芸人

内海桂子|国宝級女芸人の波乱万丈で壮絶な人生に驚愕!

こんにちは!Rillyです!

国宝級の女芸人内海桂子さんの人生が波乱万丈すぎる!

ということで、

今回のブログでは、

内海桂子の波乱万丈で壮絶な人生とは?

と題しまして、徹底的に内海さんの人生をリサーチいたしました。

では早速、お伝えいたしますね!

内海桂子の壮絶な人生とは?

内海桂子さんの壮絶な人生の幕開けは、ご両親の駆け落ちから始まります。

内海桂子誕生

内海桂子さんの両親は大恋愛の末、駆け落ちをして結婚されたそうで、内海さんは愛の結晶としてこの世に生をうけます。

内海さんは大正生まれなので、その当時お見合い結婚ばかりで、駆け落ちまでするというのは、かなりの大恋愛やったんでしょうね…

そして内海さんは東京浅草で育ちます。

内海桂子幼少期

関東大震災に見舞われ父親が蒸発し、家計を助けるために、小学3年生で小学校を辞め丁稚奉公に出ます。

しかし、奉公先の息子に頭に怪我を負わされ1年で奉公は終了となります。

母親から三味線を習うように言われ、内海さんは自分で月謝を払い、三味線と踊りを習いに行ったそうです。

三味線と踊りができる内海さんを知った芸人に声をかけられ、その後地方巡業の興行に加わるようになりました。

内海桂子初デビュー

内海さんが16歳の頃、夫婦漫才をされている芸人の嫁が妊娠をして舞台に出れなくなったので、「あんたならやれる」と言われ、突然舞台に出されたそうです!

内海さんの三味線とツッコミがうけ、一気に有名人になったそうです!

当時のサラリーマンの給料が20円に対し、内海さんは若くして、35円という高額の給料を稼いだそうです!

コンビは順調で、地方巡業で数々の場所に出向き、漫才をしたそうです。

しかし、地方巡業となると演芸場に寝泊まりすることもあり、男と女の関係…今で言うと不倫の関係となってしまい、内海さんは妊娠されます。

当時内海さんは19歳で、誰にも相談できずに悩み抜いた末、ひとりで出産することを決めました。

そして長男を出産されます。

その後、相方の奥さんが内海さんの家に押しかけてきて、母親と言い争いに…

それを見ていたらバカバカしくなって、内海さんはコンビを解消し、

子供をひとりで育てる決意をされます。

内海桂子結婚するが未婚の真実

その後戦争が激しくなり、内海さんは戦地の慰問で満州や河北省を回ります。

芸人の林家染芳さんの相方をしていた奥さんが病気療養中とのことで、

また内海さんは、奥さんの代役として相方を務めることになります。

その後、林家染芳さんの奥さんは亡くなり、周りから「染芳さんと結婚したらどうだ」とすすめられ、

結婚、長女を出産されます。

日本が敗戦になり、漫才の仕事がなくなり、そんな生活が苦しい中、旦那の林家染芳さんは賭博にのめり込みヒロポン(覚◯い剤)に手をだすという始末。

旦那は働けなくなり、内海さんは団子を売ったりキャバレーで働きながら家計を支えていたそうです。

その後旦那とは別れるのですが…

林家染芳さんとの結婚の届け出が、戦後のゴタゴタで受理されておらず、未婚のままだったので、離婚の手続きもいらなかったようです。

その後、日本も復興され、再び漫才ブームが到来します。

内海桂子「桂子・好江」結成

新しい相方をと紹介されたのが、夫婦漫才荒川小芳・林家染寿の娘で、当時まだ14歳だった好江さんでした。

内海さんはその当時28歳やったそうです。

内海さんは好江さんに三味線や芸を一から教え込み、芸を徹底的に磨いたふたりの漫才「桂子・好江」が面白いとブームを起こし、大人気漫才として話題をよびます。

1958年の第4回NHK新人漫才コンクールで優勝その後も数々の賞を受賞されますが、1982年に漫才師としては初の『芸術選奨文部大臣賞』を受賞するという快挙を成し遂げられました。

1997年に好江さんが亡くなり、再びひとりになってしまう内海さんですが、漫才協団会長として東京演芸界を率いる傍ら、ピン芸人として、数々の番組で大活躍されていました。

内海桂子さんは、ほんまに波乱万丈で、壮絶な人生を歩んでこられたことが分かりますね…

戦時中から漫才をし続けてきた内海さん。

ほんまに国宝級女芸人!

すごい人です!

まとめ

今回のブログでは、

内海桂子の波乱万丈で壮絶な人生とは?

という題目でお伝えいたしました。

これからも国宝級女芸人内海桂子さんの名は、今後も日本の漫才会で言い伝えられることでしょう…

今回のブログは以上とさせていただきます。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

では、失礼いたします。

Rilly